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朽ち果てぬ闘争本能 〜魔裟斗選手へ

『K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament -FINAL-』において、
“反逆のカリスマ”魔裟斗選手が、5年ぶり2度目となる世界王座についた。

準決勝・決勝とともにダウンを奪われてなお、王者になった選手など見たことがない。
それほどに、魔裟斗選手の充実ぶりと、闘争本能は抜きんでていた。


このような格闘技興行が、準決勝、決勝と同日で試合が行われるようになって久しいが、その苛酷さは、競技者の身体を1日で破壊してしまいかねないほど、あまりに凄惨だ。

この日の魔裟斗選手も準決勝、決勝と規定の3ラウンドでは決着がつかず、延長となるエキストラ・ラウンドを闘うことを強いられている。

両方の試合でダウンを喫した魔裟斗選手のダメージは相当なものだったはずだ。
しかもこの大会では、各ラウンド終了時に判定ポイントの開示まで行われた。
つまり、その時点での優劣がはっきりと分かるようになっていたのだ。

確かにこのルールの場合、最後の判定での曖昧さが少なくなるかわりに、自分が勝っていれば高揚し、劣っていれば落胆するというような精神的な揺らぎをコントロールしなくてはならず、モティベーションの持ち方が難しくなる。

そうした点を、次のラウンドの攻守にフィードバックできた選手が、うまく試合を組み立てることができる仕組みと言えるが、今回においてこのルールは、間違いなく魔裟斗選手のほうに、有利に働いたと思える。

何故なら、2試合ともに2ラウンド前半にダウンを喫した魔裟斗選手だが、後半には怒涛の反撃で盛り返して、1ポイントを取り返した。
2ラウンド終了時に、この点に評価があったことを魔裟斗選手は確認できたのだ。

これは勇気が出たことだろう。
通常、ダウンを喫したラウンドは10-8となり、2ポイントを失ってしまう。
しかし魔裟斗選手は、その後盛り返したことで、どちらの試合でも3ラウンド終了後にドローに持ち込んだのだから。



2003年にベルトを巻いた魔裟斗選手は、本当に強かった。
「K-1 MAX」の顔として、魔裟斗選手は絶対であるかに思えた。

けれど、その後の状況は一変する。
もがくほど、勝てない。

その風貌から、メディアは放っておかず、テレビや雑誌などには頻繁に登場する。
そうした華やかさを彼は楽しんでいるようにも思えたし、軽口をたたく彼を見て、まるで初めからそうであったかのように、彼が負ける試合を何の引っ掛かりもなく、見続けられた。

「今年こそ、チャンピオン・ベルトを獲る」
そう言い続けている彼を、恒例のマイク・パフォーマンスの一環であり、フロックに2度目はない、とまで思うようになった。

しかし、この日は違った。
準決勝に行われた佐藤嘉洋選手との試合は、まぎれもなく王者に相応しく、折れず、逃げず、闘うこと、目の前の敵を倒すことだけに集中した、ここ数年のベスト・バウトだったし、強い彼がそこにいた。

「呼吸することを忘れてました」
解説者が思わずそう口にするほど、強烈に際立った試合内容。


そのファイト・スタイルは、観ている者を安心させることのない、壮絶な殴り合い。
世界王座と同時に、数年前のさらに一歩先の強さを持って帰ってきた魔裟斗選手。

その闘争心は、当分朽ち果てそうにはない。


Person * 18:48 * comments(14) * trackbacks(0)

トリプル・グランドスラム 〜タイガー・ウッズ選手へ

壮絶なプレーオフだった。
18+1ホールの死闘。

タイガー・ウッズ選手の膝は限界だったことだろう。

しかし、この18ホールという全米オープンのプレーオフルールがこのゲームの綾となった。
現在多くの大会で採用されているのは、サドンデス方式となるプレーオフ。
しかし、全米オープンは昔からの慣習を引き継ぎ、今だに18ホールでのプレーオフによって勝敗を決している。
そのため、最終日1アンダーで並んだタイガー・ウッズ選手とロッコ・メディエイト選手は、大会5日目を迎えることになった。

膝を手術し、まだ完治していなかったタイガー選手は、早く終わらせたかったことだろう。

マスターズや全米プロなら、サドンデス方式で、タイガー選手が1ホールで勝っていたはずだった。
全英オープンでも、4ホールで済んだ。しかしその時点のスコアでは、タイガー選手は負けていた。

最終18番ホール。
1打差をつけられていたタイガー選手は、見事バーディを奪い、並んだ。
前日でも同じ場面で、バーディを奪いプレーオフに持ち込んだタイガー選手。
追い込まれた場面での「精神力の強さ」は、観衆を魅了する。

この18番ホールがなければ、彼の優勝はなかったのかもしれない。


タイガー・ウッズ選手の最大の魅力は、なんといっても果敢なチャレンジと華麗なミラクル・ショットにある。
それらは、“自信”と“精神”に支えられている。

そのどちらもが、肉体に宿ることは言うまでもない。
膝が完全でなかった今大会では、ミラクル・ショットはなりを潜め、ティーショットが安定しないがゆえに、果敢なチャレンジもどちらかと言えば、リカバリーを前提にしたものが多かった。

しかし、彼の並外れた集中力は、そうした凡人たらしめる部分を凌駕してしまう。

18番ホールのティーショットが、勝敗を左右した。
膝の痛み、1ストローク・ダウン、最終ホール。
プレッシャーを感じるのは、タイガー選手ばかりであるはずだ。

しかし、いつしか追い詰められていたのはロッコ・メディエイト選手だった。
いや、もしかしたら始めから常に、ロッコ選手は重圧に苛まれていたのかもしれない。
コンセントレーションを高めた『虎』の息遣いが聞こえるプレッシャーとは、いかばかりか……。


タイガー・ウッズ選手は、最終日に最終組でスタートしたとき、負けないという神話を更新した。
そして、トリプル・グランドスラムという偉業を達成した。

しかし、やはり膝には大変な負担がのしかかっていたのだろう。
これ以降全ての試合を欠場することとなった。


残念ながら、今期これ以上の勝利を積み重ねることができなくなった。
しかし彼は、前人未踏の『Quadruple Grand Slam』に挑まなければならない。

そのために必ずや膝を完治させて、戻ってくることだろう。
最終日、赤いポロシャツと黒のパンツのコーディネートで、颯爽と緑の芝の上を歩いている彼を待ち望んでいる。


Person * 17:18 * comments(20) * trackbacks(0)

天才レフティ 〜中村俊輔選手へ

スコットランド・プレミアリーグにて、セルティックが4試合を残し、シーズン優勝を連覇で決めた。
決勝点は、今シーズン数々のドラマを演出してきた、中村選手の左足から放たれたフリーキックだった――。


「個の特性を最大限に伸ばすこと」

分かっていても、つい他と比べてしまう。
足りないこと、できないことばかりに目がいき、それを補ったり、克服することばかりに気を取られてしまう。

子を持ち、人間を育てるということに本気で取り組むと、そのことが顕著に表れる。
「……あの子はできるのに」

けれど、本来は誰も標準的などということはありえず、その特性たるや無限であるはずだ。


中村俊輔という選手は、『標準的なサッカー選手』としてのコンピタンスをほとんど満たしていない。

ラン、キック、ヘディング、タックル。
“手”以外の体のほとんどを無防備で使用するサッカーでは、これらのフィジカルでバランスが取れた選手が、基本的なよい選手の見本。

それらを構成する要素として、長く持続的に走ることができる持久力や体力、短距離でトップスピードに乗れる瞬発力、両足で蹴れることは基より、速く正確に蹴るためのキック力、高い地点から力強く押し出すためのジャンプ力、ボディコンタクトに耐えられる筋力などがある。

加えて、リアルタイム知的戦略ゲームたるサッカーでは、メンタルでの能力は上記同等に求められる。

全体を見渡せる視野の広さ、次動作への判断力の速さと俊敏性、有効地点に至る最短距離の計測力、そこにボールを到達させる速度や角度の計算力、相手の届かない位置にボールを置くための空間把握力、仲間との意思疎通力、ゴールに至る一連の想像力、これら全てを的確に行うための正確性など。

これは個人によるものであり、チームスポーツであるところの戦略性や統率性などは、また別にある。

これだけを見ても、スポーツの中でもとりわけ多くの資質が求められるのがサッカーだと言っても過言ではない。


しかし、中村選手に限っては、これらほとんどが並かそれ以下。
では何故、彼はかの地であのような活躍ができるのか。(しかもサッカーで)

それは彼の左足が尋常なレベルではないからだ。
そして、フィジカル面の欠落したほとんどを、メンタル面で凌駕してしまえるレベルにあるからだ。

それはすなわち、タックルされない位置関係に常に自分をおくことができれば、“当たり負け”することはないし、相手の速度や体の状態を観察し、次の予測力に優れていれば、自分がリスクを犯すタックルを行う必要もなく、ボールを奪取することができる。

つまり、上述したコンピタンスは、『標準的なサッカー選手』に求められるものであり、それを補って余りある資質でやり遂げてしまうのなら、必要がないことだと言える。
(ただし、常人が多少の訓練で体得できるものではないが)


共同通信が伝えるニュース記事にそのことが端的に示されている。

〜セルティックの監督が中村選手を獲得する際の逸話
中村を獲得する際、同監督は欧州サッカー連盟(UEFA)のロクスブルク技術委員長に評価を求め、こう言われた。「ヘディングはできない。タックルもできない。だが天才だ」。その言葉は時間を経るごとに現実味を増すことになった。
 AP電によると、試合後にストラカン監督は報道陣に「周囲は中村はタックルができないと言うが、それがどうした。彼は天才だ」と話した。期待に応えた中村への粋な賛辞だった。



左足だけしか使えなくてもサッカーはできる。しかも、誰よりもうまく。
彼の活躍は、ハンディキャップのある人々にも勇気を与えるだろう。

大事なことは、標準的かどうかを問うのではなく、自身の資質たる特性を生かしきることだ。
そのためには、そのことを忘れず、自身の特性を見極め、鍛錬を怠らないようにすること。


P.S
同日、選手投票による今季のスコットランド・プレミアリーグ年間最優秀選手に中村俊輔が選ばれた。また年間ベストゴール賞も同時に受賞した。
選手投票によるMVPは嬉しいだろうなぁ。


Person * 12:18 * comments(28) * trackbacks(0)

SSAWSを創った男

もう廃業してから6年近く経つ「SSAWS(ザウス)」。
“Spring, Summer, Autumn, Winter, Snow”(季節に関係なく雪があるという意味)の頭文字を取った名称なのは有名な話。

全天候型屋内スキー場としては世界最大規模を誇り、当時のスキーブームと相まって人気のあった施設。

当時学生だったわたしの友人も、スキー・シーズン前などには、こぞって出掛けていた。(わたしは一度も行ったことがないw)

関東圏でなくても、あのような季節に関係なくシーズン・スポーツが楽しめる施設というのは珍しく、しかもあの規模では、ほぼ伝説的な施設のうちの一つだろう。


この施設を手がけた人が、実は身近にいた。
というのも、何度も話しているはずなのに、今まで知らなかったのだ。

とても驚いたのと同時に、あの発想は凄い! と感激してしまった。
しかも、かなり博打的なプロジェクトだったろうことは、容易に想像がつく。
その中で、並み居る面々を相手に周りを説き伏せ完遂したというのは、もはや偉業と言ってもいい。


う〜ん、人って見た目だけでは分からないものだ。。


ららぽーとスキードームSSAWS(Wikipedia)


P.S
わたしは、どちらかというと横浜にあった「ワイルドブルーヨコハマ」という全天候型屋内プールが好きだったのだけれど。(こちらも2001年閉鎖)


Person * 18:34 * comments(13) * trackbacks(0)

引退の花道 〜ディープ・インパクト号

今年は「引退」という言葉が世相を表すひとつのキーワードとなった。
当ブログでも、【Person】というカテゴリーにて、多くの人について書かせてもらった。

今年引退する方々をざっと挙げても、
中田英寿さん、荒川静香さん、新庄剛志さん、ミハエル・シューマッハーさん、イアン・ソープさん、小倉隆史さん、城彰二さん、ジネディーヌ・ジダンさん、アンドレ・アガシさん、アーネスト・ホーストさん、リンゼイ・ダベンポートさん、ハルウララ号、ビル・ゲイツさん(事実上)など。

今日を最後に引退するディープ・インパクト号もそのひとり(一頭)。

昨年、有馬記念で敗れたディープ・インパクトのエントリーを書いた。
今年は、クリスマス・イブのレース、そして7冠を花道に引退、というストーリーはファンへの最高のクリスマス・プレゼントとなる。

騎乗した武豊選手は、千両役者だ。その重すぎる期待はよく分かっていただろう。
そして見事その期待に応えた自身も、オグリキャップ騎乗以来となる有馬記念2勝目。

オグリキャップのときも大変な人気馬の引退ラストラン。
このときは今回とは逆で、勝てると思える状態ではなかったのだけれど…。


シンボリルドルフ以来、史上2頭目の無敗3冠馬に輝いた、ディープ・インパクト。
どうしても勝ちたかった有馬記念で昨年のリベンジを果たし、最高の形で引退の花道を飾った。


ディープインパクト(Wikipedia)


P.S
そうだ、今年はわたしも引退をしたんだった。(笑)


Person * 23:11 * comments(24) * trackbacks(9)

Super Idol 〜Mickey Mouseさんへ

11月18日はミッキーマウスの誕生日。

擬人化されたキャラクターの中で、世界中で最も愛されているのが彼だろう。

先日、彼が住むアナハイムに出かけた。
彼の家に訪れる機会はなかったが、快晴に恵まれた彼の地は、その息吹を存分に感じさせるところだった。

人は何故、彼に魅かれるのだろうか?
そんなわたしも理由も分からないまま、彼のことが大好き。


誕生日、おめでとう!


Person * 15:23 * comments(18) * trackbacks(1)

天賦のヴォーカリスト 〜吉川晃司さんへ

『KIKKAWA KOJI LIVE 2006
   ROLL OVER THE DISCOTHEQUE!
                FROM CLUB JUNGLE』

と銘打たれた武道館スペシャル・ライブに参加。

オープニングから「DISCO TWINS」のVJプレイによって、ミラーボールの廻った武道館は、いきなりクラブのようなノリと興奮状態に包まれる。

ここ最近のライブになかったような高揚感を助長し、期待感を存分に盛り立てる。

1万人もの人をのみ込んでいながら、ディスコ然とした、全てが一体となったダンスホールであるかのように感じられる箱は、いかに東京と言えどもここしかない。
そう、武道館は、最高の場所だった。

その武道館が、オーディエンスのスウィングに同調するように、大きく揺れる。
そして、それが更なる興奮を呼ぶ――。

こうして始まったライブは、加速度を増したまま、ノン・ストップで“踊る場”を提供するだけのように思われた。が、そんな「チンケ」なライブ・パフォーマンスだけで成立させるようなことは、吉川晃司というパフォーマーが存在していては、許されはしない。

ロックに留まらず、今まで多くのカテゴリにまたがり、音楽の形態を吸収し、表現に変えてきた彼が、それらの楽曲に対して、ある種のリスペクトを表すのと同時に、本番の中で、彼が求める音楽の形をまるで投げかけるかのように、偉大なる実験をオーディエンスに仕掛けていく。

まさに、ライブ中という本番にしかない、巨大なエネルギーと対話するように……。

そして、その象徴が、自らが「チークタイム」と評した、途中のアコースティック・パートにあった。

そもそも吉川晃司さんというアーティストの最大の特徴は「唄の上手さ」にある。
そして、その声に二面性を持つのも、彼の魅力の一つ。

荒ぶる感情を抑えられないままに爆発し、アドレナリンを放出させる声。
ある一方で、暗闇の中にある、一筋のしっかりとした光のような、伸びやかな声。

本人は元より、多くのオーディエンスが期待しているのは、ロック・アーティストとしての吉川晃司であり、そのような楽曲を期待しているのも確かだ。

しかしわたしは常々、彼のヴォーカリストの才は、このどちらもを備えたその稀有な声にあり、そうしてその声は、ミドルテンポもしくは、バラードのような楽曲にこそ、むしろその真価があると感じていた。

ツイン・アコースティック・ギターを携え、語りかけるように唄う「GLAMOROUS JUMP」。
否応なしに、心に染み入ってくるこの波長は、武道館を本来あるよりもっと深い静寂に落としていく。

ヴォーカリストとしての吉川晃司たる所以を、改めて感じられる瞬間――。

できるなら、フル・オーケストラによるアレンジで、全編アコースティック・ライブとして、彼の声を堪能したいと思うのは、わたしだけの我が儘ではないような気がする。

そう思わせるに足るあのパートこそ、ヴォーカリストとしての真骨頂ではなかったか。


「K2 NET CAST」 (KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEB SITE)



 追加:武道館ライブ映像 >
 KIKKAWA KOJI LIVE 2006 「ROLL OVER THE DISCOTHEQUE!」 吉川晃司


Person * 02:11 * comments(24) * trackbacks(4)

ザ・エンターテイナー 〜新庄剛志選手へ

レギュラーシーズンの最終戦で、SHINJO選手が自身の演出で引退セレモニーを行った。
プロ野球入団当初の背番号「63」を他の選手から奪ってでも、その意気込みを見せる。
そう、何もかもが新庄流。型破り。

低迷した日本プロ野球界にあって、独り気を吐いたのは、間違いなく彼だった。
北海道という未開の地にあって、ファイターズが数年でこれほどまでにファンを熱狂させ、レギュラーシーズンで1位になるなどとは、当初誰も予想し得なかったことだろう。

『ファンを喜ばせたい!』

その気持ちは、多くの人に届き、そして札幌ドームは満員になる。
勿論、一時的な道化では人は簡単に飽き、ついてこない。
“勝つ”ことこそ、最大のパフォーマンスであることは疑いようがない。

しかし、それ以上にSHINJO選手を観たい。その奇抜なパフォーマンスは、絶大な吸引力だ。

プロであるならば、野球がうまいことは、当たり前だ。
「プロなら、黙ってプレーで示すべきだ!」という論調も理解はできる。
だがしかし、それだけで人を呼べる時代はとっくに終わった。

その時代感覚、嗅覚でSHINJO選手は、意に介さず新庄流を貫き、それを証明する。

同時に彼は、自身だけが派手にパフォーマンスを繰り返せばいいと考えているわけではない。彼はリーダーとしての能力も高く、そのプロフェッショナリズムを若い選手に伝え、指導・育成することを忘れていない。

自身だけではなく、後輩のため、球団のため、野球界のため、そして何よりファンのために――。


『一流のエンターテイナーとは “空白の時刻” を創造してしまう』


そう、SHINJO選手がまさにそうであるように……。


「今日、この日、この瞬間を 心のアルバムに刻んで、 これからもオレらしくいくばいっ!」

あなただけでなく、彼自身もまた、この素晴らしく楽しい時刻(トキ)を心に刻む。
こんなクサイ台詞が似合うのが、新庄剛志という男なのだ。


新庄剛志 - Wikipedia



Person * 19:37 * comments(22) * trackbacks(9)

史上最強のF1パイロット 〜ミハエル・シューマッハー選手へ

ついに、フェラーリの聖地モンツァで、レース後のシューマッハー選手が引退を発表した。

『威風堂堂』。
アイルトン・セナ亡き後、F1というビッグ・ビジネスをたった独りで牽引してきたと言っても過言ではない彼は、この言葉以上の立ち姿で、チャンピオン・ドライバーたり続けた。

いったい彼は、どれほどの重圧を背負いながら、
           今のモティベーションを保ち続けてきたのだろう――。


しかし、その到底信じられない記録の数々とは裏腹に、彼ほど恵まれなかったチャンピオン・ドライバーもいない。

何故なら、これまで彼には、対峙できうるほどのライバルがいなかった。
それはあの日、彼の前で忽然と姿を消してしまったからに他ならない……。

強く、もっと強く。
本来、速さこそ競われるモーター・スポーツにおいて、「強さ」が強調されるドライバーもそれほど多くない。

彼は常にそこにい続け、その強さゆえに、彼を止めるためのレギュレーション変更が毎年なされるほどの存在だった。

そこには、ライバル不在が故に、純粋なスポーツとして競い合うものとは遠くかけ離れた、理不尽な世界が横たわっていた。

そうした中で、常に勝ち続けた彼の偉業は、もっと称賛され、敬意を表されてもいいものだし、加えて言えば、それをフェラーリでやってのけたことを忘れてはならないだろう。

彼が移籍してきた90年代後半のフェラーリは、決して戦闘力があるマシンではなかったし、それまでの10年でさえ、ずっと苦戦を強いられていた古豪を見事復活させたのは、シューマッハーでなくてはできなかったことだろうと思わざるを得ない。

勿論、チャンピオンを獲る過程の、過去の非紳士的な行為は見過ごせるものではない。

しかしながら、彼が築いてきた偉大なるキャリアに比べて、果たしてそれを霞ませるほどのインパクトがそこにあるとは思えない。


わたしは、セナの41の勝利数に並んだ彼が、涙を流しながら会見した姿を忘れない。
決して彼は、ただ勝つためだけに、全てをかなぐり捨てていたわけではないことを、改めて感じられたからだ。

アイルトン・セナという、最も大切な“ライバル”を失ったことを誰よりも深く心の傷として刻み、その頂きにチャレンジし続けてきた彼が、その安堵とそれ以上に、その存在を超えてしまう悲しみに、流した涙を。


“The Greatest Champion of Formula One.”
これこそ、ミハエル・シューマッハーに最も似合う言葉だろうと思う。


Person * 01:01 * comments(14) * trackbacks(3)

孤高の表現者 〜中田英寿さんへ

中田選手が現役からの引退を表明した。

彼の年齢から考えると、フィジカル、メンタルともに、今後の成長には疑いがないほど、まだはっきりとした糊しろ伸びしろがあるだろうし、フットボールに対するモティベーションから考えても、まだまだ挑戦できる素地があるはずで、燃え尽きるというのには、当てはまらない気がする。

しかし、一方で「そうかぁ」と妙に心にしっくりとくるこの感じは、何なのだろうか。


いくつかのメディアで、「彼は何を伝えようとしていたのか?」という表現を見かけた。
アスリートの引退に際して、「何を残してきたのか」が論ぜられることはあっても、「何を伝えたか、伝えようとしていたか」というコンテキスト(文脈)で語られることは、今までなかったと思う。

けれど、彼に対しては、そのような論調で語らなくてはならないほど、「何かを伝えるため」に存在していた、という共通の認識のようなものが、受け取り手側にも、醸成されてきていたということか。

つまるところそれは、「ナカタイズム」のようなものかもしれない。


常に世界を見据え、世界との距離を体感し、その距離に立ち向かう術を伝えてきたのは、中田英寿だった。
プロフェッショナルとは何か? を体言してきたのは中田英寿だった。
当地に渡る前に、当たり前に現地の言葉を習得したのは、中田英寿が初めてだった。
マスメディアに依存せず、自身のウェブサイトでファンと直接コミュニケートすることを実現したのは、中田英寿だった。

その何もかもが、彼の行動以降に変化してきたように、ある種、その行動原則のようなものも、今までのプロスポーツ・プレイヤーとは違っていた。

引退という場にあってさえ、今までの流儀とは違う論理や哲学を冷徹に貫く、彼独特のイズムとして、何かを伝えるためなのではないだろうか、と推論されていることが、それを端的に表わしているのかもしれない。


しかし、それらは時代を捉えた所作であって、まるでそうすることが自然であったかのように、その後に続く道ができ、皆がそこを歩き出した。

彼がパイオニアとして「何かを伝える」というように言われる所以は、こういうところにあるのだろう。

中田選手が、プロフットボーラーとして存在するのと同時に、彼の表現やコミュニケートの仕方、今までのプロスポーツ・プレイヤーと違うもの、というような違和感を少なくとも日本人は感じていて、その異質さは、時に軋轢を生み、時に誤解され、時に単なる我が儘や、気難しいだけ、のように捉えられてきた。

彼は、「何故、こんな自然なことであるのに、理解されないのだろう」と思っていたかもしれない。
そして最終的に彼のジレンマは、「世界との距離」に帰結し、それはフィジカルよりも大きく、縮まらないメンタリティに、「どうしようもない」徒労感を覚えていたのではないだろうか。


しかし、時代は流れる。
それは彼が思うよりもずっと遅いかもしれないが、徐々にであっても、確実に日本人のメンタリティに影響し、浸透してきたように思う。
引退する今になって、日本人が彼に感じたある種の違和感が、消えているように思う。

それは、ドイツW杯での日本代表が教えてくれた「世界との距離」を、ようやく感じられたことによるのかもしれないけれど…。

でもそれこそが、中田英寿が表現したかったことなのかもしれない。

そして同時に、
中田英寿が不幸だったのは、彼以前に『中田英寿』がいなかったことだ。


nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ



Person * 20:04 * comments(24) * trackbacks(7)

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